インタビューの中、「きもの」やnonoの商品について、探していたパズルのピースがパチッとはまるような感覚になる瞬間が何度もありました。
「Kimono Factory nonoのしごと」3回目(暫定的最終回)は、nonoの考える「きものを着る」ということ。
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15_ 「今、わたしを動かすのは」
「これは、『街』で着るものだ」。
nonoのスタイルを初めて目にしたときにそう感じた。わたしはきものに興味を持ったごく初期のころから「今日はワンピース、明日はきもの」にしたかったので、「これこそ良けれ!」だった。
「シンプルでシック。スーツの横にいても、色味的に通り過ぎそうなんだけれど、形とか素材にちょっとこだわってるのよ、っていう『自分の中での』うれしさというか。控えめな魅力というか…そんな目立ちたいわけじゃなくて」。
価格帯の設定も絶妙だ。昨今は事情が変わってきたが、当時きものの価格は極端に安いか高いかで、その中間、上質なスーツと同じくらいの10万円前後に設定された商品は少なかったし、あってもむしろ中途半端に感じる商品が多かったように思う。
「この値段だから成立するというか、良いスーツとかワンピースとか、セットアップとか、そういう商品の価格帯とぴったり合っていると思うんです、偶然かもしれないけど」。
無理なローンを組んだりしないし、もちろん使い捨てにもしない。そんなふうに手に入れたものはどちらも身につかないことは、洋服でずいぶん身銭を切って、身に染みてわかっている。
そうなのだ。前回コラムで書いたとおり、nonoは派手な広告はしない。「ものをして語らしめよ」という姿勢は一貫していて歯がゆいほどだ。でもその意図は最初から鮮やかに伝わっていた。
わたしはきもので目立ちたいわけじゃない、むしろ絶対に悪目立ちしたくない。非日常の晴れ着ではなく、かといって普段着でもなく、自分が世の中に上機嫌で繰り出していくための(あるいは重い腰をあげるための)「リアルクローズ」としてのきものが欲しかった。それは和装でも洋装でも同じだ。自分の手の届く範囲の、ほんとうに気に入ったおしゃれなものを(←ここが肝心)、大切に着たいだけ。そんな気持ちを満たす商品がnonoのラインナップには実在していて、ヘビーローテーションしているうちに、だんだん自分が来ているのが洋服かきものかということをあまり意識しなくなってきた。「好きな服を着てるだけ、悪いことしてないよ」という素敵な歌詞があったが、まさにそんな感じ。周囲に殊更、「今日は(今日も)きものなんやねー」と言われなくなったのも同じころだったと思う。
「いつも僕の心の中にあるのは『解放する』ということばです。洋服でも『こんなところに、これ着たらあかんのかな…』とか『これに、これを合わせたらだめかな』とか思うでしょう。不安から入るんです。そうじゃない。誰に何を言われても『自分の好きなものを、好きなように着ていいんだ』ということをわかってほしいというか、知ってほしいというか。これにこれが合うっていうのは世間の評価だけで、自分が合うと思ってたら、別に理屈はどうでもいい。楽しいなって自分が着て思えばそれでいいんじゃないか。それを理解してもらうには形が新しくないとあかんかな…そう思って作った商品もあります」。
そうやって生まれたのが例えば、着物パーカーSpiderだったり、ニットカーディガンEarlだったりするのだろう。Gritterだって帯ベルトだって、底に流れているのは、同じ「解放する」という精神だ。
「nonoのスタイルを全部取り入れられる人は そんなにいないかもしれない。でも、一部でええんです。『きものの人』を作り上げるんではなくて、着る人が『自分自身を表現するために身につけるもの』、そのひとつがnonoの商品であったらそれがいちばんうれしい。『きものを着たいからnonoを買いに来ました』っていうのは、それはそれでありがたいんですけれど、そこを目指すんじゃなくて、あくまでその人自身のベーシックというか、それを美しく表現できるものがnonoの商品にひとつでもいい、入っていること。それを目指したい。ファッションによって自分自身を研いでいく、っていうことができるといいなと思っているので、『(ブランドコンセプトである)鋭利なベーシック』というのはそういうことなんかな、と」。
日常的にきものを着るようになって、わたしは「きものを着ているすてきな人」ではなくて、「すてきなひと(の一部を成す要素がきもの)」になりたいと思うようになった。
大それた野望だと自覚しているが、Kimono Factory nonoのしごとは確実に、わたしの感覚を研ぎ、レベルを上げ、背中を押して一歩前に進ませてくれる。
奈良女子大学文学部を卒業後、美術印刷会社の営業職、京都精華大学 文字文明研究所および京都国際マンガミュージアム勤務を経て、2015年に独立。岩澤企画編集事務所を設立する。
ライター業の傍ら、メディアにおける「悉皆屋さん」として様々な分野で活躍中。
30歳のときに古着屋で出会った一枚のスカートをきっかけにモード系ファッションの虜となり、40代から着物を日常に取り入れるようになる。現在、病院受診と整体治療のある日以外はほぼ毎日、きもので出勤している。
岩澤さんブログ「みみひげしっぽ通信」
http://iwasawa-aki.jugem.jp/