あふれるような笑顔の写真が次々と送られてくる。華やかな振袖とヘアアレンジが青空と琵琶湖に映えて、なんてかわいい、なんてまぶしい。
4年前、息子が二十歳を迎えた年の成人の日。保育園のころから今も、家族ぐるみで仲の良い同級生の5家族、息子以外の4人はみんな女の子だ。「ママ振」(着付けもお母さん)あり、いかも今どきの色柄あり、王道の伝統柄あり。そのころ振袖に関係する仕事をしていたので(毎年、新作のパンフレットのコピーを書いていた)少しは知識があり、柄行きや小物や髪飾りなど、送られてきた写真を見ては、それぞれにピンポイントで具体的な賞賛のコメントを送りまくったので、みんなとても喜んでくれたらしい。他所のおうちのお嬢さんたちに、すてきな振袖姿をたっぷり楽しませてもらった。
うちの息子はというと、成人式にはまったく興味がなく、その日はどこかで急ぎのレポートを書いていたらしい。30数年前、わたしもまったく成人式に関心のない二十歳で(地元の愛媛を離れて関西に進学していたこともある)、おそらく数回しか袖を通さないであろう振袖に高いお金を出すなんてもったいない、と思っていた。大学で中国文学を勉強していたので、親に「振袖は要らないから、中国へ短期の語学留学に行かせてほしい」と頼んだ(そんな人間が後年、振袖のコピーを書いたり、きもの生活をしたりするようになるのだから、人生はわからない)。春休みの約1か月、北京の大学の寮で寝泊まりして、集中して中国語を学ぶというプログラムだ。親は一瞬、微妙な顔をしたようだったが、本人がそう言うならと行かせてくれた。とてもよい経験ができたのだけれど、今、中国語はほぼ全くできない。
大学を卒業し、社会へ出て一年半、わたしは24歳になってすぐ結婚した。結婚式も新居も、大体自分たちで準備したので、母が来たのは結婚式の前日。式場で衣装の支度を手伝ってくれていた母がふと、つぶやいた。「一回くらい、亜希が振袖着ているところ、見たかったなぁ」。振袖を飛ばして、いきなり白無垢だったわけだ。思いがけないひとことに胸を衝かれた。思ったよりずっと早く結婚することになった娘のことを喜びながら、どこか寂しい気持ちがふと口をついてこぼれたのだろう。あまり親に世話をかけることなく、「いっちょまえ」にやっているつもりだったけれど、子どもの成長を喜び、楽しみにしている親の気持ちなど考えたこともなかった。
今になってちょっとのその気持ちがわかったと話したいけれど、母が69歳で亡くなって14年。毎年成人式のニュースを見聞きするたびに、ほんの少し、胸が痛い。
奈良女子大学文学部を卒業後、美術印刷会社の営業職、京都精華大学 文字文明研究所および京都国際マンガミュージアム勤務を経て、2015年に独立。岩澤企画編集事務所を設立する。
ライター業の傍ら、メディアにおける「悉皆屋さん」として様々な分野で活躍中。
30歳のときに古着屋で出会った一枚のスカートをきっかけにモード系ファッションの虜となり、40代から着物を日常に取り入れるようになる。現在、病院受診と整体治療のある日以外はほぼ毎日、きもので出勤している。
岩澤さんブログ「みみひげしっぽ通信」
http://iwasawa-aki.jugem.jp/