38_「いつかは、大島。」

 今わたしの手元に、 『本場奄美大島紬協同組合 創立100周年記念誌』という冊子がある。「どうして平織なのに『紬』なんだろう?」という素朴な疑問の答えがあるかも、と、上田社長からお借りしてきた。

 発行は平成15年(2003)。ということは、創立は明治36年(1903)!160ページという大部のすべてを読み込むことはできていない。が、協同組合の記念誌と銘打たれているものの、目次を一瞥するだけで、実際には本場奄美大島紬の、ひいては奄美大島の歴史そのものが記録されている貴重な資料なことは一目瞭然だ。

  この記念誌によると、もともと「奄美大島で織られていた紬」は、やはりネップのある、いわゆる「紬糸」からスタートした。国が強く豊かになるにつれ、この「紬」がよく売れて紬糸が不足し、いくつかの経緯を経て、やがて機が改良され、細く滑らかな「生糸」が使われるようになった。結果、美しさや着心地のよさから更に人々に求められ、そこに精密な絣が生まれ、技法が進化、洗練されていった。こうして「紬」という名前は残っていても、今「大島紬」として認識されているつややかで滑らかな、平織の織物に変化したのだという。背景には薩摩の過酷な苛斂誅求があり、数々の戦争があり政治があり、日本の経済のアップダウンや生活様式の変化があり…と、大島紬の歴史は、わたしにはそのまま日本の歴史の縮図のように思える。

 こう書くと、大島紬の歴史は艱難辛苦の連続ばかりに思えるが(そして実際にそうであったろうが)、その中にも大きな喜びとやりがいがあったこと、そして今もあることは間違いないと思う。1970年代後半(奇しくも最初の万博が開催されたあたり)、日本中に「いつかは、大島。」という空気が満ちていったのは、国の力が右肩上がりだったこともあろうが、より美しく、より着心地良く、喜ばれるものを…という産地の熱意とその成果の賜物なのだろう。

 ちりめんのぼってりした重さや落ち感ではなく、真綿紬のほっこりしたぬくもりでもない。軽く薄く張りがあり、それでいて滑らかなひんやりした触感。独特の光沢は着る人の顔を明るく照らし、泥染めに代表される色と精緻な絣文様は、日本女性を(男性も、ですね)より知的に、静謐に見せてくれる。見た目だけではない。贅沢なきものを「普段着」として着ている、という気分の高揚は、袖口から出る指先の仕草を繊細に美しくするし、身のこなしさえも変える。

 わたしが大切にしているのは、深い焦茶にグレーを掛け合わせたような、モザイクのように複雑でモダンな柄行の、本場大島紬の小紋(リユースで求めた)。いささか緊張する場面へ出ていくとき、このきものを着ていれば気後れすることはない。そして、他のきものにすればよかったと思ったことも、多分一度もない。

 そして今のわたしにとって、「いつかは、あの水玉模様の大島」だ。

画像は泥染糸、製図、絹糸。大島紬に用いられる糸は撚りが少なく光沢がある。

奈良女子大学文学部を卒業後、美術印刷会社の営業職、京都精華大学 文字文明研究所および京都国際マンガミュージアム勤務を経て、2015年に独立。岩澤企画編集事務所を設立する。
ライター業の傍ら、メディアにおける「悉皆屋さん」として様々な分野で活躍中。
30歳のときに古着屋で出会った一枚のスカートをきっかけにモード系ファッションの虜となり、40代から着物を日常に取り入れるようになる。現在、病院受診と整体治療のある日以外はほぼ毎日、きもので出勤している。

岩澤さんブログ「みみひげしっぽ通信」
http://iwasawa-aki.jugem.jp/

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