あまりの酷暑に、この夏はきもの(ゆかたも含む)に袖を通す回数が極端に少なくなってしまった。残念でならない。
このコラムが掲載されているころ、少しは秋風が立っているだろうか。暦どおりの衣替えならもうとっくに単衣の季節だけれど、残暑というにはあまりに厳しい、この連日ムシムシの35℃越えでは、どんなに薄手でもさすがに正絹のきものは無理。手入れのことも気がかりだ。この気温・湿度では、体感としては夏物で充分すぎるくらいなのに、日の光や空気の色は既に秋だから、夏らしい色柄や透けるきもの、ましてやゆかたはなんだかそぐわない。洋服でも、藍染め風のプリントの綿麻のワンピースがいちばん快適に過ごせるのだけれど、見た目になんとなく違和感があって手が伸びない。「季節感」と「季節」とは全く別物なのだ。この両者がすっかり乖離して、今着たいものと気候が全く合わなくなってしまった。
気候の変動に合わせて、単衣の季節が延びたと言われて久しい。わたしは単衣のきものが好きだ。単衣、それもばち襟の薄手の紬。単衣の季節が春秋のここちよい時期だということもあるし、広襟を折って整えるのが苦手。何より気軽で、着やすい。わたしが袷のきものに袖を通すのは、11月から2月のほんとうに寒い時だけだ。今、室内は一年を通して空調も効いているから、薄手から厚手までいろんな厚さの単衣に、羽織るものや下に着るもので温度調節をして過ごす時期がいちばん長い。一方で、「正絹の単衣は着る季節が極端に短いので、あまりたくさん要らない」というひともいて、こればかりは人によるらしい。
ああ、早くきものが着たい。
着丈を決めて、上前と下前を掻き合わせて、腰ひもを締める心地よさ。帯を身体に添わせる感触。最後の帯締めで、着姿全体が決まったときの達成感。そして何より、鏡を見て、「よっしゃ!行くぞ!」と自分を励ます高揚感(帯をポンと叩いてみたりしませんか?)、これは洋服ではなかなか味わえない。Tシャツ襦袢とステテコ、単衣のばち襟のきものに、半幅帯(それも帯ベルトdateだと更に)なら、何の気負いも衒いもなく、するりときものが着られる。しばらくごぶさたしてしまったきもの生活に戻っていくには、このスタイルがいちばんだ。
奈良女子大学文学部を卒業後、美術印刷会社の営業職、京都精華大学 文字文明研究所および京都国際マンガミュージアム勤務を経て、2015年に独立。岩澤企画編集事務所を設立する。
ライター業の傍ら、メディアにおける「悉皆屋さん」として様々な分野で活躍中。
30歳のときに古着屋で出会った一枚のスカートをきっかけにモード系ファッションの虜となり、40代から着物を日常に取り入れるようになる。現在、病院受診と整体治療のある日以外はほぼ毎日、きもので出勤している。
岩澤さんブログ「みみひげしっぽ通信」
http://iwasawa-aki.jugem.jp/